龍潭譚背景イラスト

龍潭譚 Tyutandan IzumiKyoka × GakuNakagawa

インタビュー

異世界との往還 今読まれるべき『龍潭譚』のテーマ

千里は、父母と幼くして別れ、厳しい叔父叔母のもとで育てられている少年です。すごくお母さんのおっぱいが恋しい子で、「姉上」にダッコしてもらっておっぱいの方に行こうとして「ダメ!」って言われていたりする。ところが、迷い込んだ異世界「九つ谺ここのつこだま」で「うつくしき人」に温かく保護してもらって、おっぱいも許してもらうわけですよね(笑)。

「うつくしき人」は明らかに魔物のお姐さんなんだけど、千里には何も悪いことをしていない。それどころか、千里はいい思いをしたと言ってもいいほどなんですけど、戻ってきたら周囲にワイワイ言われてつらい思いをするうちに、千里自身もだんだんおかしくなっちゃう。「異界へ迷い込んだ後、戻ってきた現実世界でつらい目にあう」というのは、自閉症や不登校の構図とたぶん似ていると思うんですよ。不登校の子どもの気持ちって、異世界を覗いてしまって、帰ってこれなくなっちゃう感じなのかもしれない。これは、埋もれさせておくにはもったいない物語だし、今の時代に本として堂々と出さなきゃと思いました。

結局、お坊さんの祈祷が嵐を呼び、魔物のお姐さんの住処である「九つ谺」が大きな湖に沈んだところで、千里は正気に戻るわけですけども、これもまたご祈祷が効いたからと言っていいのかどうか。直接の契機としては、嵐におびえた姉上がギュッと抱きしめてくれたおかげでお母さんのぬくもりを思いだして、すーっと正気に戻ってくるんですよ。しかも、千里にとっては魔物のお姐さんはあくまでやさしくしてくれた存在だったわけですから、闇や魔が必ずしも悪いわけじゃないんじゃない?とすごく考えさせられるわけです。

泉鏡花は、『草迷宮』や『高野聖こうやひじり』など幻想的な作品群を残していますが、なかでも『龍潭譚』はもっとも早い時期の作品だそうです。僕はそのことを知らずに描いたんですけど、泉鏡花記念館の学芸員である穴倉さんに教えてもらって初めて知りました。研究者の間では、『龍潭譚』が起点になって新しい世界が広がったと認識されているようで、そういうことがわかったことも僕としては大きな収穫でした。

映画的!鏡花ワールドをどう描いたか

泉鏡花の作品は、美文体と呼ばれる昔の文章で書かれているので、読みなれない人に敬遠されがちですが、そのハードルを越えるとすごく映画的なんです。当時は映画なんかなかったはずなのに。『龍潭譚』のラストなんか、「パタン!」と唐突に終わって余韻を残す感じがまるでフランス映画みたいです。

物語の挿絵を描くときは、文章で自分のなかの世界を広げるのを助けるように、文章以外の情報を伝えたいなと思っていて。『龍潭譚』は、千里のこころのなかを描いた物語なので、少年のこころに合わせて色を変化させています。展示していると気づく人がいるんだけど、最初はモノクロの世界で始まって途中でカラフルになり、またモノクロに戻るんですよ。

なぜかというと、千里は現実世界ではつまらない思いをしている子だからなんです。つまらない現実世界はモノクロで表していて、異世界ではバッと色がつけることにしました。麻薬をやった人の証言を読むと「パッ」と世界が明るく色が際立って見えるそうですが、幻想の世界に入っていくってそういうことかなと思っていて。脳内麻薬じゃないですけど、すごくきらびやかに見えるということを絵で表現したい思いました。

九つ谺で一夜を過ごした翌日のシーンは、ようやく昼の世界になって千里が大好きなお姐さんとピクニック気分で山道を歩いているので穏やかな色合いです。湖のほとりでお姐さんと別れて向こう岸に渡るシーンは、現実世界と異世界が反転する鏡の世界なんだということを、水面に映る景色で表現しました。物語を言葉ではなく、視覚で直感的に感じ取ってもらえるのが、絵の面白いところなんじゃないかな。

着物の柄も、情景描写のひとつとして描いています。たとえば、「遠くで滝の音が聴こえる」という描写があるときは着物に滝を描きこんでみたり、千里の姉はキレイだけど儚い感じなので蝶を描いてみたり。今回、特に女性の着物の柄は情景描写の一つとして描くことで、登場人物の気持ちを言葉じゃない部分で表現してみました。そういう仕掛けは随所に仕込んであるので、読みながら見つけてもらえたらうれしいですね。